前橋城址
大室公園
大胡城址
大胡神社
櫃石
阿久沢家住宅
赤城神社
滝沢不動堂
膳城跡
大室古墳群
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歴史散策
前橋は古くは厩橋。前橋」改められた1681年〜1707年まで酒井忠挙が城主であったと言われています。前橋市域には、700余基もの古墳が発掘され、東国では最も古いとされる天神山古墳、末期古墳の典型の宝塔山古墳など、各期のものが点在。副葬品も多く出土し、当時の律令体制の中で上野国の中心地だった事が伺えます。
群馬の郡、駅家(うまや)の郷、など前橋の地名が出てくる10世紀平安中期、日輪寺の十一面観世音像、善勝寺の鉄造阿弥陀如来座像がつくられます。1470年代に築かれた厩橋城が戦国時代、上杉・武田等の攻撃の的となり、1567年の戦いでは、武田・北条氏のために、当時繁栄していた天川原、六供方面の町並みが焼き払われ、街の中心は旧利根川の河原であった低地に移ります。
徳川時代になると、酒井氏が川越から移り、9代150年の長きにわたって城主となり、松平氏に代わりますが、利根川の洪水による城地決壊のため、19年で川越に移城します。このため街は衰微の極に達し、城の再築を願って街の復興を図り、1867年に再度松平氏を前橋に迎えますが、明治維新となりました。そして、明治時代に入り、「糸のまち」として前橋の名はますます高まります。
明治14年に県庁が置かれ、街の繁栄の基礎が築かれ明治22年町制を施行、同25年県内最初、関東で4番目、全国で41番目に市制を施行する事になります。太平洋戦争終結直前、昭和20年8月の戦災を受け、中心市街地の8割を焼失する被害を受けますが、戦災復興事業を施行して市の復輿を図り、近接町村を合併し市域を拡大し、35年には消費都市から生産都市への転換を目標に、工場誘致を実施し成果を上げました。
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